「多様性」、「ダイバーシティ」の本質について
「多様性」と「ダイバーシティ」。
寡聞ながら、この2つに関し、反対意見を目にしたり耳にしたことがありません。
Twitterなどでは、「多様性の確保」や「ダイバーシティ」について肯定的なツイートがなされると、数百数千単位の「いいね」がついております。
その一方で、(一部かもしれませんが)その「いいね」をした方達が、
それとは反対の言動・振る舞い・価値判断を日常的に繰り返しているのを、
目にしたり耳にすることがあるのも事実です。
例えば、生産性という尺度で人を区別する。
例えば、年齢という尺度で人を区別する。
例えば、政治的主張の違いで。
例えば、性別の違いで。
例えば、職業の違いで。
例えば、・・・・・・。
ここで結論から先に申し上げます。
「多様性」や「ダイバーシティ」の本質はなにか。
それは、
「1に辛抱、2に辛抱、3・4がなくて5に辛抱である」と考えています。
理由を書くと長くなるので割愛しますが、
少なくとも「我慢」「辛抱」が求めれれるわけで、
キラキラしている言葉ではないのです。
お互いに我慢に我慢を重ねた先に、やっと成立するのが、
「多様性」であり、「ダイバーシティ」なんじゃないかなと。
そういえば、似たような言葉に、
「みんなちがって、みんないい」があります。
素晴らしい言葉だと思います。
ですが、この言葉の本質もやはり「我慢」や「辛抱」かなと。
すくなくとも「イェ〜イ、賛成〜!」というような軽いものではない。
このようにキラキラした言葉に引きづられるのではなく、
その裏側に控えているものにも光を当てていく。
「奥いけ」を、そんなコミュニティにしていきたいと考えております。
