• すず

告知文『ケアの倫理とエンパワメント』(小川公代、講談社)

学生時代、学内で開催されていた「読書会」に

いくつか出たことがあります。

そこは、正しい解釈を巡って批判の応酬をし合う。

そのような読書会ばかりでした。

(口角泡を飛ばすような議論になるのもあれば、

冷静に分析し合うのもあったが、

いずれも批判し合うことで切磋琢磨しようと

していた点では同じだった)


当時はそれが普通だと思っていたし、

実際に得るものも多かったのは確かです。

例えば、学問の厳しさというものを

学部1年生の時に経験できたのは、貴重な体験でした。


とはいえ、そこは知力・胆力・プレゼン力がぶつかり合う、

文字どおり戦場と形容することも可能な場。

互いの序列を決めるべく、

力と力を衝突させ合う場でもありました。

当時の私は、己の無学を自覚しながら

ビクビクしていたものです。

(今でも無学な好事家に過ぎないのですが)



それから幾星霜。

平成から令和に年号が変わり、

読書会を主宰する立場となりました。

(ここからは、アカデミックの世界とは異なり、

「一般の方々が楽しみのために参加する読書会」を

前提にしていきます)


そこで今直面しているのが、

「読書会には興味があるけれど、

批判されるのではないか、笑われるのではないか」

と不安がる多くの方々の存在。


その一方で、「本当のことを指摘して何が悪い!」

というマッチョなご意見を受けることがままあるのも事実。

(こう言ってくるのは、なぜか男性ばかり)


メンバーの心理的安全性を確保しつつ、

いかに活気ある読書会にしていくか。

メンバーひとりひとりの差異に、

どのように配慮していけば良いか。


日々痛感しているその問題意識から、

本書を課題本に選んだ次第なんです。

(もちろん本書の問題提起とストレートに

重なるわけではありませんが)


合理性を追求することは大切なことですが、

使い方によっては、ある種の暴力性も帯びてしまう。

そのような要素が読書会にはあるのかもしれません。


もちろん、本を読むという行為には

「誤読の可能性」が常に潜んでいるのであり、

「正しい読解」ができることに越したことはありません。


ですが、だからといって、

それが相手への攻撃を許容する理由にはならないのではないかと。


先述したように、

「本当のことを指摘して何が悪い!」

と言われたことがあります。

相手の見解を批判しないというルールに対して、

「全体主義」と揶揄されたこともあります。


こう主張してくる方たちを見ていて思うのが、

合理性の追求と相手の立場を慮ること。

この両者を、両立し得ない絶対的な二項対立要素とみなしている。

そのような方が多いような印象を受けております。

「本当のことを言う権利が自分にはある!」

と主張されるのですが、

相手にも「傷つけられない権利」があることを

全く考慮していない方が多いのです・・・。


おっと、本書の内容からだいぶ逸脱してしまいましたね。


「ケア」という人間に不可欠な要素に焦点を当てた本書を一緒に読み、その感想をみんなで間主観的に共有していきませんか。

「奥いけ」では、心理的安全性の確保に考慮した運営を心がけております。

安心してご参加ください。

(参加費無料)


最後に、竹下登元総理の言葉を引用して、

終わりに致します。



・「椎名[悦三郎]さんが、「野党が間違った質問をしても、間違っていると答弁してはだめだ。丁寧に答えてあげて、ああ質問が間違っていたなということに気がつくような答弁ができたら大臣として一人前だ」と言った。」


・「(椎名悦三郎が)「相手に屈辱感を与えないで、間違っておったなということに、そこはかとなく気づくような答え方をしてあげなければいかん」と言われた。実に立派な人だと思った。」


(『政治とは何か 竹下登回顧録』p111〜112より、一部編集)




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